京都出町の暮らし

近くには鴨川・京都御所・出町枡形商店街など..大好きな場所で暮らす日常を書きたいままに

エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス

スポンジボブくらいハチャメチャな映画だった。こんなストーリーよく思いついたな。自分の発想を信じる力。それに大金を投じて形(映画)にする勇気とパワー。そしてこの映画が今、私の目の前で上映されているという事実。おそらくここだけではなく世界中の映画館で!amazing!!

主人公は、どこにでもいそうな主婦。心が通じ合わない家族とギリギリの暮らしを送っていたが、極限状態に陥って、最後に残ったのは家族への愛だった。

私はあの時違う選択をしていたら、違う人生があったのか?なんて考えたことはない。なんで夫と結婚したんだっけ?と思うことはたまにある。(あるんかい!笑)でも、その度にそれでよかったと思う。だって夫じゃなかったら娘には会えなかった訳だし。

主人公は頑張っていたし、家族を愛していた。けど、上手くいかない。努力の方向性を間違えていた。話し合いが足りなかった。物事を多面的に捉えられていなかった。頑固だった...いろいろ原因はあるんだろうけど、何かもうこの映画の世界、いや宇宙くらい科学が進んでいるなら、マルチバースだっけ?何かいろいろややこしいことじゃなくて、人の脳のデータをchatGPTの進化版みたいなのに入れて、お互い最短で分かり合えるように最適化して、いいかんじに伝えてもらって、誤解なく100%分かり合えてみんな幸せっていう風にならないものかと思った。

ここまで考えて、わかったぞ!マザーテレサだ!「世界平和のために私は何をしたらいいでしょう」という問いに「あなたの家に帰って、あなたの家族を愛してあげてください」ってやつ。この映画はそれを表現してるんじゃないかな?ハチャメチャなストーリーで。

すっかりわかった気になったところで映画が終わった。あ、早く帰らないと。私も家族の平和を守るために、晩御飯を作るというミッションをやらなければ!と、おかしなテンションで家路を急いだ。

BLUE GIANT と娘と元彼との思い出と母の日

BLUE GIANT 

かっこいい。最初から最後までずっーとかっこいい!こんなにかっこいい映画を観たのは初めて。ストーリーも演奏もキャラクターも凄かった。吹奏楽部でテナーサックス吹いてる娘とこの映画を一緒に観られて幸せ♡神様ありがとうございますって思わず感謝してしまうような映画だった。とりあえず、全人類にみてもらいたい。

終わりが近づくにつれて館内の熱気がぐんぐん上がって、ラストを迎える頃には30℃を超えるような暑さになっていた。映画が終わって興奮気味にパンフレットやCDを買い求める人達を見ながら、本当にいい映画だったな〜と余韻に浸っていた。

ふと横を見ると、テンションの低い娘。あれ?

母「映画どうだった?」

娘「今日は午前中部活あったし、暑いし、人満員だったし、ずっと座っておしりも首も痛くて疲れた」

母「で、でも、テナーサックスの演奏かっこよかったよね?」

娘「わたし、テナーサックスの優しい音色が好きだから、この映画みたいに強くて激しい演奏はあんまり好きじゃない..まあかっこよかったけど。何か知ってると楽器のこととかいろいろ冷静に見てしまうわ。ラストも衝撃すぎてショックだったし...ママはいいね、純粋に感動できて」

なるほど。テナーサックスにも演奏の仕方とかいろいろあって、音楽性の違いってやつ?何かわからんけど、主人公と同じ楽器吹いてたら楽しめるってもんでもないってことを知ったど素人の母であった。

なるほどなー。朝から出町座に行って、チケット買って、座席予約して、いい席でって気合い入れてたんだけど...娘喜ぶに違いないって...まあでも今日は母の日だから、私が楽しかったらいいか。なるほどー。

ん?いや、違う。そうじゃない。これはガッカリすることなんかじゃない。「私はテナーサックスの優しい音色が好き」....

そうか!娘は何となく吹奏楽部に入って、ただ譜面通りにテナーサックスを吹いているのではなくて、自分の音へのこだわりを持ってやってるんだ。それって凄いことなのでは?彼女もあの映画の主人公のように自分なりの音を追究しているんだなと気が付いて、そんなに好きになれる楽器に出会えて良かったねって、うれしくなってきたのだった。

元彼との思い出

そういえば、私が娘と同じ年の頃に、当時付き合ってた彼にたまたまチケット2枚もらったからって映画誘われて行ったけど、つまらなくて、ちょうど今の娘みたいな反応しちゃってたかもなーということを唐突に思い出した。そうか。彼はあの時こんな気持ちだったのか。ごめんよ〜。

よくよく考えてみたら、私にとっては全く興味がない恋愛ものの映画だったけど、おそらく当時高校生の女の子だったら8割くらいは喜びそうな映画だったに違いない。そうか。もらったなんて言ってたけど、絶対喜ぶと思って選んでくれたんだよね、きっと。ほんとにごめん。と今になって彼の優しさに気付かずスルーしていたことに反省したのだった。喉が渇いたので、コンビニでほろ酔いの白いサワーを買って家に帰った。

母の日

先に帰っていた夫が、母の日だけど突然、お花とタルトケーキをプレゼントしてくれた。お花もケーキのチョイスも、私の好みにばっちり合わせてあった。結婚して20年目。母の日に夫から何かもらったのは初めてだった。「どうした?」と言いそうになったけど、さっきの反省を生かして、満面の笑みで喜んだ。いや、本当にうれしかったけど。ありがとうございます。

娘からのプレゼントは、おつかいだった。

母「今日ママ、晩ごはんにめっちゃ美味しいグラタンを作るよ!」

と宣言した直後に

母「あ、小麦粉がない」

ってなって、仕方ない。さっき買い物行ったばかりだけど、もう一度行ってくるか〜と思っていたところ、

娘「今日は母の日だから、私が買ってきてあげる!」

と、笑顔でおつかいに行ってくれたのだ。いつもはスルーだけど。あんなに快く引き受けてくれたのは小3以来だったかな?

おつかいだけでもよかったけど、次の日、娘が遠足のついでにパリパリクロワッサン生地のたい焼きを買ってきてくれた。

娘「母の日遅くなったけど、一緒に食べよ。カスタードとやきいも。ママが好きな味を選んで」

って言われた。

母「ママはどっちでもいいよ」

って言ったけど、

娘「私もどっちでもいいから、ママが好きな方を選んで」

って私に選ばせてくれた。カスタードにした。でも、やきいももおいしいからって、一口くれた。とってもおいしかった。

うれしいな。何かわたし、すごく幸せなのかもしれないと思った。

bluegiant-movie.jp

Winny

晩御飯の買い物ついでに映画をみた。

ファイル共有ソフトWinny」の開発者である金子勇さんが、著作権法違反幇助の容疑で2004年に逮捕されてから7年半の裁判を経て無罪を勝ち取るまでの実話をもとにした作品。

最後に金子さんご本人のインタビュー映像があり、純粋なお人柄がお顔にあらわれているなと思った。

こんなにも優秀な方が開発者としての旬の時期を奪われたことが何よりも残念だし、その間開発がストップした事への本人の悔しさを思うといたたまれない。

優秀で熱意のある弁護士のおかげで最後に無罪を勝ち取ったことはせめてもの救いだったけれど、少し前の日本でこんな不当なことがあったのかと腹立たしい気持ちになった。

当時このニュースをリアルタイムで見たことは記憶の片隅にあるくらいで、内容を深く知ろうとはしなかった。この事件が映画化された事で、たくさんの人達が、当時何が起こっていたのかを再認識できたことは意義深い。

誰かの意図によって操られたマスコミが、あたかもその人は悪人だと言わんばかりに報道する。わからない情報を無意識に受け取り、この人は罪人に違いない。よく考えもせず、そんな間違った認識をすることがあったとしたら...

それから約20年経った今、誰でも情報発信ができるようになり、当時とは比べものにならないくらい大量の情報が溢れる中で、さらに受け取る側の判断力が求められている。

私はきちんと判断できているのだろうか...?うーん...

そんなことを考えながら、スーパーに寄る。出町座からスーパーまで10秒。顔馴染みの店員さんに話しかけてもらったけど、頭の中はまだ映画でいっぱいで、曖昧な受け答えしか出来なかった。近いのは便利だけど、現実との距離が近すぎるのはちょっと困る。

winny-movie.com

コンパートメントNo.6

映画の始まるギリギリに出町座に着いたのがそもそもの間違いだった。

正確には、上映開始時間を僅かに過ぎていた。もう無理かな?とダメもとで聞いたら、冒頭5分は宣伝映像なので、あと2分あるから大丈夫ですよと係の方が教えてくれた。すでに席は結構埋まっていたので、最前列右端に座る場所を決めて、灯の落ちた館内を案内してもらって席に着いた。間に合った。

ホッとして前の画面を見たら、近い!仕方がない。映画が始まった。そんな時に限って、コンパートメント。映像の殆どは、列車内の狭いコンパートメントや通路の映像なのだ。

わたしは狭いところがかなり苦手だ。理由はわからないけど、ものすごいストレスを感じる。なので、映画の内容を楽しむというよりは、何故か「狭さに耐える2時間我慢大会」というかんじになってしまい、少しでも画面から距離をとるべく、背もたれに張り付くようにして座るとかして何とかこの苦行を乗り切った。

映画は面白かった。こうなったのはすべて自分の責任だ。次回からは遅くとも5分前には着いておこうと決めた。

comp6film.com

nems cafe

久しぶりに夫とランチ。

広々とした空間にゆったりと家具が配置されたオシャレなお店。

日替わりランチは野菜たっぷりで、メインのローストビーフもボリュームがあって美味しかった!

デザートに注文したドルチェピザ。2人で1枚頼んだけど、これなら食後でもひとり1枚いけたねと話しながら近所を少し散歩して帰った。

tabelog.com

目の見えない白鳥さん、アートを見に行く

予告編を見て、この映画は絶対に見たいと思っていた。目が見えない白鳥さんがアートを見に行って、どんな楽しみ方をされているのかすごく気になったから!

目が見えない白鳥さん、アート作品を、どうやって鑑賞する?

目が見えない白鳥さんは、初めに彼女と美術館デートに行ったのがきっかけで自分も美術館を楽しめるのではと思い、その後は事前に電話でお願いして、学芸員さんとか、周りの方に言葉で説明してもらうことでアート作品を鑑賞している。

説明する人は、何とか白鳥さんに伝えてあげなければという思いから、いつもよりしっかり作品を見ていくうちに、「ここにこんな絵が描いてあったんだ」とか、言語化する過程で、「作者の意図はこういうことなのかもしれない」と気づいたり...そのうちに、目が見えているからと言って、必ずしもすべて見ている訳じゃないんだってことを発見して、あれ?1人で鑑賞していた時よりずっと作品への理解が深まってるし、いつの間にか白鳥さんと一緒に鑑賞することで、新しい世界の扉を開いているのでは?!とワクワクするするのだ。

美術館が好き

「僕自身、美術好きじゃなくて、美術館が好き。美術館に行って、誰かと会話をしながらその場を共有できるのかできないのか。そういうのを含めて体験が楽しい」

そう言われてみると自分もそっち寄りなんだなと気づいたけど、これまでは無意識レベルでそんなことを思ってもいけないような気がしていた。でも、何に楽しみを感じるかは人それぞれだし、自由だよね。

アート鑑賞に限ったことではなく、そもそも自分がどのポイントに楽しさを感じているのか考えたことがなかった。今後は自分の楽しいの解像度を上げて、白鳥さんみたいに自分の世界を広げていきたい。

自由に会話しながら鑑賞するのもよいという一方、静かに鑑賞したい派の人たちも尊重したい。きっと美術好きなんだろうな。私も作品や場所やその時の気分によっては、静かに鑑賞したい時もある。同時に2つの鑑賞スタイルを両立するのは難しそうなので、日にちや時間帯を分けたりすると、みんながそれぞれ満足のいく楽しみ方ができるんじゃないかと考えたりした。

安易に線引きしてない?

「俺をみて、五体満足の自分はもっと頑張らなければって思いました」って言ってくる人がいるけど、それって違うんじゃないかな?っていう場面にドキッとした。恥ずかしながら、悪気なく言ってしまいそうな言葉だ。

白鳥さんは自立して暮らせるように様々な努力や訓練をしている。料理もできるし、マッサージの仕事で生計を立てている。その上で、目が見えない人間は目が見える人間より劣っているので、そこに何倍も努力して近づかなければいけないっていう考えはおかしいんじゃないかって言っているのだ。

人はそもそも1人1人みんな違うし、それぞれに得意なこともあれば苦手なこともあって、前提条件は同じだってこと。だから、見える、見えないで安易に線引きするのではなく、各自得意なことをして、それぞれが見えるものを言語化して、共有して、それでお互いの世界をどんどん豊かに広げていけたらいいよねって話。

白鳥さんは、「点字ブロックに自転車が置いてあったりしても、それはいい。俺たちが行くのは点字ブロックがある道だけじゃない」と言った。かっこいい。白鳥さんはそれでいい。

でも、見える人は点字ブロックの上にものを置かないようにするべきだ。見える見えないの線は取り払っても、相手の身になって考えることは忘れてはいけない思った。

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