京都出町の暮らし

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目の見えない白鳥さん、アートを見に行く

予告編を見て、この映画は絶対に見たいと思っていた。目が見えない白鳥さんがアートを見に行って、どんな楽しみ方をされているのかすごく気になったから!

目が見えない白鳥さん、アート作品を、どうやって鑑賞する?

目が見えない白鳥さんは、初めに彼女と美術館デートに行ったのがきっかけで自分も美術館を楽しめるのではと思い、その後は事前に電話でお願いして、学芸員さんとか、周りの方に言葉で説明してもらうことでアート作品を鑑賞している。

説明する人は、何とか白鳥さんに伝えてあげなければという思いから、いつもよりしっかり作品を見ていくうちに、「ここにこんな絵が描いてあったんだ」とか、言語化する過程で、「作者の意図はこういうことなのかもしれない」と気づいたり...そのうちに、目が見えているからと言って、必ずしもすべて見ている訳じゃないんだってことを発見して、あれ?1人で鑑賞していた時よりずっと作品への理解が深まってるし、いつの間にか白鳥さんと一緒に鑑賞することで、新しい世界の扉を開いているのでは?!とワクワクするするのだ。

美術館が好き

「僕自身、美術好きじゃなくて、美術館が好き。美術館に行って、誰かと会話をしながらその場を共有できるのかできないのか。そういうのを含めて体験が楽しい」

そう言われてみると自分もそっち寄りなんだなと気づいたけど、これまでは無意識レベルでそんなことを思ってもいけないような気がしていた。でも、何に楽しみを感じるかは人それぞれだし、自由だよね。

アート鑑賞に限ったことではなく、そもそも自分がどのポイントに楽しさを感じているのか考えたことがなかった。今後は自分の楽しいの解像度を上げて、白鳥さんみたいに自分の世界を広げていきたい。

自由に会話しながら鑑賞するのもよいという一方、静かに鑑賞したい派の人たちも尊重したい。きっと美術好きなんだろうな。私も作品や場所やその時の気分によっては、静かに鑑賞したい時もある。同時に2つの鑑賞スタイルを両立するのは難しそうなので、日にちや時間帯を分けたりすると、みんながそれぞれ満足のいく楽しみ方ができるんじゃないかと考えたりした。

安易に線引きしてない?

「俺をみて、五体満足の自分はもっと頑張らなければって思いました」って言ってくる人がいるけど、それって違うんじゃないかな?っていう場面にドキッとした。恥ずかしながら、悪気なく言ってしまいそうな言葉だ。

白鳥さんは自立して暮らせるように様々な努力や訓練をしている。料理もできるし、マッサージの仕事で生計を立てている。その上で、目が見えない人間は目が見える人間より劣っているので、そこに何倍も努力して近づかなければいけないっていう考えはおかしいんじゃないかって言っているのだ。

人はそもそも1人1人みんな違うし、それぞれに得意なこともあれば苦手なこともあって、前提条件は同じだってこと。だから、見える、見えないで安易に線引きするのではなく、各自得意なことをして、それぞれが見えるものを言語化して、共有して、それでお互いの世界をどんどん豊かに広げていけたらいいよねって話。

白鳥さんは、「点字ブロックに自転車が置いてあったりしても、それはいい。俺たちが行くのは点字ブロックがある道だけじゃない」と言った。かっこいい。白鳥さんはそれでいい。

でも、見える人は点字ブロックの上にものを置かないようにするべきだ。見える見えないの線は取り払っても、相手の身になって考えることは忘れてはいけない思った。

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